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◆神武以前三代記 瓊瓊杵尊―彦火々出見尊―鵜葺草葺不合尊 |
第四章 海彦山彦物語が語る神代の社会 その1
「九州は糧に不足しているのであろう、では私が行って新田を開くとしょう」瓊瓊杵君はそう言われ自身で九州に西の宮より出立したと前述しました。農業改革が遅れ人口の増加に間に合わなかったのかも知れません。また大陸・半島からの異民族の間で不穏な動きが察知され、それらの鎮慰を兼ねた九州巡幸でしよう。「火進(酢芹尊)と卯津杵は北の津の宮で二人睦まじく彼の地を治めよ」と秀真伝には父瓊瓊杵尊の言葉が記されています。火進尊は二男で海彦、卯津杵尊は三男で山彦、此の花咲く哉姫が生んだ三つ子の兄弟です。火進尊は病弱、卯津杵尊は行動的な自己中心的で性格が合いません。それ故に『二人睦まじく宮を守れ』と言葉が有ったのでしょう。兄は毎日海で釣り、弟は山で毎日狩をしたとありますが、兄は部下をつれて海に出て巡視をし、弟は同じく部下をつれて、不審な潜伏者が隠れて居ないか山や森林を巡視したのだと推察します。北の津(敦賀)は当時すでに半島からの玄間口に成りつつあつたと思われます。瓊瓊杵君が大部隊をつれて九州に行っている隙をついて、半島方面からの何らかの行動があった場合の予防のためでした。しかし平穏な日々の連続で飽きがきます。海と山の部所を変えてみようと相談し、互いの慣れない仕事で双方に何らかの失敗が有り、兄弟の喧嘩になったと私は推測しますが如何でしょうか。秀真伝の記述もやや現実離れの感がありますが、日本書紀よりましですので、其れを追って行きましょう。
兄弟は相談して釣りの鉤と狩の弓を交換し持ち場を変えますが互いに収穫がなく、やはり元に戻す事になりますが卯津杵尊は鉤を咥えた魚に逃げられて返す鉤が有りません。兄が盛んに鉤を返せと云いますので、困り果てた尊は自分の太刀を溶かし沢山の鉤を作りそれを差し出します。兄は「こんな鉤では駄目だ。元の鉤を返せ」と云い張ります。弟君は何も出来ません。浜辺でしよんぼり悲しんでいますと雁罠から逃げた雁を追ってきた塩土老翁が尊を見つけ色々とその理由を訊かれます。尊はありのままを話します。翁は「若君よ、憂うる事はありません。私に考えが有ります」と云い目の細かい地引網を小舟にいれ、歌札を付けてその船に尊を乗せ、舟の帆を上げて友綱を解いて海に押し出したのです。山彦(卯津杵)(火火出見)尊を乗せた船は筑紫ウマシの浜に着きます。尊はそこで船を捨て襲緒の波堤神の大きな館の前まできました。館は夕日に映えて照り輝いています。日も暮れたので周りのハエ葉と譲葉を敷き詰めてまんじりとも出来ず夜の明けるのを待ちました。やがて夜が明けると門が開き若い乙女達が出てきます。乙女達の中の若姫が桶に若水を汲もうとすると釣瓶(つるべ)がはねてそこに身知らぬ若い男の顔が映ります。姫は驚いて直ぐその事を父君に話します。『空からの神でしょうか。唯ならぬ人が居ります』姫の父君は尊の着けている装束をみてすぐ高貴の方と知り広く畳を敷いて尊を招き入れます。『貴い君が何故この様な遠い所に来られたのですか』、尊のそのわけ総てを話します。父の波堤神はどうしたら良いか迷っていますと鵜戸守がやって来て『誰かの鴨船と潟網が浜に乗捨てられておりました』と知らせます。波堤神が潟網の中にある短冊に記されている歌を見なますと【塩土翁が 目無し潟網 張るべらや 満ち干の玉は 波堤の神風】・・・歌の意味が解りませんので完訳秀真伝の記述を引用しますと、[塩土翁の目無しの潟網を張って大小の魚を獲り貴方が持っている満ち干の玉を使って魚の口の中を調べれば良いでしょう、波堤神の偉大さを示す時ですぞ]・・・波堤神は多くの海女を呼び如何にすればよいか相談をします、色々と案が出ましたが赤女の一人が『目無網で総ての魚を引き挙げ調べましよう』と申します。赤女に多くの海女を添えて各地の魚を目無網でさらうと、大鯛がぐちを咬み砕いて寄ってきました。赤女がそのぐちを調べますと山彦尊が無くした鉤が見つかりました。鯛を生簀に生かし波堤神に知らせると波堤は既にその事を夢で知っていました。尊は大変に喜ばれ志賀神をして兄の酢芹尊に鉤を返しに行かせます。志賀神は鰐(わに)船(ふね)(大型の船)にて大津のシノ宮にいる山咋(やまぐい)命(のみこと)を招き供に近江の鵜川の宮(滋賀県高島郡・・前述)の兄海彦の館に行きます。兄君は両名に会い「何の用で来られたか」と尋ねると、山咋命が「かなり前の事ですが弟の卵津杵君が宮の鉤をお借りになり、魚に取られてしまいましたが、今その鉤を取り戻しまして、お返しに参りました」志賀神は鉤を返します。酢芹尊は間が悪そうに「まさしく我が鉤だ」と言いながら立ちあがり去ろうとします。その袖を押え「待ちぢ」と言ったのです。酢芹尊は怒って「理由もなく私を何故恨む。兄に借りた物は弟がじかに返しに来るのが礼儀であろう」「そうではありません。切れそうな糸を付けて貸した筈です。人に貸す時は新しく変えるか、注意をするのが筋ではないですか。わざと貸したのなれば兄君から弟君に犬が這うようにしてお詫びあれ」。酢芹尊はそれを聴くと益々怒りだし船を漕ぎ出して逃げようとします。志賀神は波堤命から預かった満ち干の玉を投げつけると海の水が引き、酢芹尊は慌てて船から降りて逃げだします。山咋命は山に逃げた尊を追い、手で掴み、追いついた志賀神が、又、満ち干の玉を投げると水が溢れ溺れそうに成ります。「汝ら我を殺す気か、助けよ、弟に従がって長く仕えよう」。二臣はこれを許し迎いの船で鵜川の宮までお連れして、互いの睦みあいその後、波堤神の館の戻り報告しました。・・・今、神社の社の前に石で作った駒犬を多く見かけますが、この話が基になって後世神社に駒犬を奉納するのが仕来に成ったそうです。
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