おとぎ話でない現実的歴史を伝えたい。日本の超古代史への誘い

木花咲哉姫と浅間神社・子安神社について(2)
 
 現在地球上に住む全ての人類は20万年前の進化の果てに再び誕生したホモサピエンス(新人)であると結論されている。アフリカ東部赤道近く南北に走る大地溝帯がその場所であるとされている。10万年前、その地から分派の集団が離れて移動を始め、死海地溝帯に五万年ほど前まで留まり、その後、徐徐に移動した居住地に適応を重ねヨーロッパやアジヤさらには南北アメリカ大陸に拡散を続けた。太古のシベリヤにはオープン・ウッドランドと云われた疎林の間に草原が広がるアフリカのサバンナに似た地帯が続いていてマンモス・ケサイ等の大型動物の生息に最も適していた。3−5万年前のシベリヤの約7割がこの様な地形に覆われていて、東に向かって我々の祖先はこれらの大型動物を追い、更に東へ東へと移動を続けたのだ。最後の氷河期で最も気温が下がった約2万年前オープン・ウッドランドは縮小して帯のようになり、北からは極北砂漠と云う岩と氷の不毛の大地が南に広がり、南からは氷河が一帯に北に延びたため独特の草原の地形は絶滅寸前となった。しかし極東は例外でオープン・ウッドランドは北から南に大きく移動し、北海道、さらには東北地方の北部にまでその変化が及んだ。大型動物もこれに連れて移動したことは当然である。しかし科学の記録ではマンモスは津軽海峡を渡いっていない。この海峡は深く流れも速いため氷が張らなかったためと思われる。我々の祖先は小舟に乗り又は筏を組み、この列島に獲物を追って住みついたのである。やがて氷河期が終わり対馬海峡の氷が解けて黒潮が日本海に流れ込み、津軽海峡は再びより深く流れもはやくなり、日本海を北上した対馬黒潮はこの海峡を抜けて大部分は太平洋本流に回帰、広い日本海から上がる蒸気は大陸からの気流に冷やされて四季それそれに豊富な雨をもたらし、日本列島を豊かな森林の島としたのだ。縄文中期平均気温は今より7度も高く蒸し暑く、列島に住みつき採集・狩猟の民族と化した我々の祖先は、深く中国地方山口県近くまで拡散し多くのコロニーを形勢した我我の祖先の縄文人は、気温が低く、過し良い高原に住みつき、この地域が高天原であると私は考えている。しかし世界の気温は再び下がり始め、縄文後期・晩期には殆ど今と変わりない四季の移り変わりとなっていたと考える。衛星からの画像を使っての日々の天気予報で知ることは、異議も多々あると思うが、一年を通じ一番気候が安定し住みやすい場所は千葉県北部であると私は思っている。利根川は東京湾に注いでいた。それに荒川・多摩川。東京湾は広く深く内陸に達し豊穣の海であった。鬼怒川と小貝川の下流は湿地帯で一面に葦や真菰がお生い茂り、低地であるために太平洋の海水も入り込み広大な汽水域の内海を形勢し、溢れる程の海・水産資源や平坦な陸地からの狩猟や採集収穫も加え、冬季の積雪の悩みもなく、列等各地から次第に多くのコロニーがこの地域に合流し次第に列島一番の人口と繁栄を保ってきたと思う。
 日本は火山国でその大部分は酸性土壌である。酸性土壌は有機物を残さない、我々先人は手元の豊富な木材を使い生活に必要な住居その他を構築した。それらは多くの世紀の果て僅かな土台の無機物を残して元の土へと還元する。土台の無機物は千年を超える風水で人工物か否かの判断は至難となる。西欧のごとき遺構を見出さないとして無碍にこの列島が未開の地とは断定できない筈である。


 木花咲哉姫と浅間神社・子安神社について 目次
その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 その9 その10
その11 その12 その13 その14 その15 その16

 その時歴史が動いた・箸墓古墳 目次
その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 その9