おとぎ話でない現実的歴史を伝えたい。日本の超古代史への誘い

その時歴史が動いた・箸墓古墳(6)

  しかし、論争が嵩じて流血の乱に成った形跡は見当たらない。鬱色雄の物部連は武辺の一族として知られていた。大物主家は吉備と並ぶ大臣ではあるが武力では勝ち目はない。しかも相手は天皇の外戚として中央をがっちり把握していて全てに不利である。諫言がうけいれられない以上、謹慎する他に道がなかったのである。
 さて皇后になった伊香色謎媛は御間城入彦を生み、子の御子が次の崇神天皇となる。
 天皇在位五年、国内に疾病おおく民死亡するもの半分を超す大事となった。六年、百姓流離し、あるいわ背く者あり、その勢い徳を持って納めること難し・・
七年二月十五日に詔して曰く『昔わが皇祖大きに天津日嗣をひらきたまい機。その後、聖業いよいよ高く、君の則うたた盛んなり。思わざき、今、朕の世にあたりてしばしば災害有らんことを。恐らくは朝に善政なくして咎を神秖にとらんや、何ぞ神亀へて災を致す所由を極め座乱』とのたまう。
何の原因でこのようになったか八百万の神に祈って、占ってもらうとおっしゃつた の意味である。

「この時神明倭迹迹曰百襲媛に慿いて日九『天皇何ぞ国の治まらざることを憂うる。若し能く我を敬い祀らば必ず当の自平(たいらぎ)なん』とのたまう」

何を心配している。君のせいではないですよ、私を祀りなさい。そうすれば必ず世の中がよく成りますよ。
平易の言葉で話しを進めよう。そのように云うには何処の神様ですかと天皇が問うと百襲媛は物の気がついた顔で『私はこの倭の国の大物主じや、よく私を崇って祀りなさい』

天皇はその教えに従って祀ったが一向に事態は良くならない。斎戒沐浴して
「こんなに貴方を崇っているのにまだ大変な事が続いています。まだ私に至らない点があるのなら、夢の中に出てきて、そうすればよいか教えてください」。

 其の夜、天皇の夢枕に一人の貴人が殿の戸口に立って、自ら大物主と名乗り、

 
国が治まらないのはこの私が乱しているからさ、
 私の子孫の大田田根子を祀ってくれればよいのだ。困難も治まり外国を帰服してくるぞ、


と云って消えてしまった。その年の八月、宮中の三人が同じ夢をみたと申し出があり、天皇はこれは正夢だと考え、喜びをもって大大的に大田田根子なる人物をさがさせる事になる。


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