おとぎ話でない現実的歴史を伝えたい。日本の超古代史への誘い

木花咲哉姫と浅間神社・子安神社について(3)
 
 秀真伝は天地創造を7・5調の長歌述べている。いきなり難解な説明を避け、その概略を説明をすると、この大地は空気と風と火と水、それに地がまじりあっていたが、次第に陰陽に分かれ、陽は天に成り日輪となり、陰は地になり月になった。その中に国常立尊が生まれた。この神は8人のお子をうみ、それぞれ八方の国を治めた。世継ぎの神は国狭槌尊と云われ、国常立尊のたてた教えに従わず盗人をなし悪行を続ける者を、椿の槌で打ち国を治めた。この神は八人のお子を生み、それぞれ分家させた。そのお子たちは又5人のお子を生み国の人口が増えてきた。次の世継ぎが豊国主尊でこの神は国とは君・臣・民の三行であるとして王族と家臣と大民の区別を明らかにしたと述べている。次代の主は大濡煮尊と后の小濡煮尊で婚礼の制度を広めた。弥生時代には人口が増え人々の交流も活発になる一方、男女の交にも問題が起こり部落の間の抗争が頻繁の起こる弊害が多発した。婚礼は必ず仲人を介して行い両人が双方の人々の前で御神酒を酌み交わす三三九度の杯の式が制定された。男神は冠・大袴、女神は小袖・上被衣で式に臨まれ今のひな祭りはこれに基くと云われている。五代目は大殿内尊、后は大戸殿前といわれ男神を殿と、女神を御前という様になった。六代目は面足尊(おもたるのみこと)皇后は惺根尊(かしこねのみこと)といった。
日本各地にコロニーが多数あり、一番人口が多く豊かなこの王権が各地のコロニーに何かしらの支配的な緩い影響を及ぼしていたと考えている。先日テレビを視ていて『王は無能でも国は滅びません、後継ぎが無いと滅ぶと歴史が教えています』と云っていた。面足尊は非凡の御方であったが残念ながら世継ぎの御子に恵まれず、例に洩れず内紛がはじまった。国常立尊の御代からの八つの分家の間の話し合いは長引き、そのうちの一番外縁の分家、葉木国家は最も力があり、代代その当主は高皇産(たかみむす)霊(びの)尊(みこと)と云われ、五代目は特に豊受大神と呼ばれていた。この神が内紛の長引く北総台地に見切りを付け、49の息の掛った一族を連れて東北の仙台の近く日高見に移動し、自ら東の君と名乗のったと秀真伝は述べている。これは豊受大神の分家が独立し有力な二系統の王権が存在したことを意味する。なにも寒い北の地に新天地を求めなくて他に良い策もあった筈だと、現代の感覚からすれば思うであろう。しかし縄文後期までは東北・北陸は西日本より遥かに豊かな富を抱く地域であった。独立した豊受大神はこの列島が再び縄文中期の温かい気温に戻り、地形も良く東京湾に似た豊穣の松島湾に近い日高見(宮城県多賀城市周辺)が北総台地を凌ぐ環境を備えていると考えたと思う。また更に長引く部族間の摩擦をさけ、遠隔の地に歩を築く利点も考えたと考える。豊受大神は大局を見る知識に長け行動力も優れていたお方の様である。



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その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 その9 その10
その11 その12 その13 その14 その15 その16

 その時歴史が動いた・箸墓古墳 目次
その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 その9